関係政党の動き →右図→
結党前
   2013年当時、 野党 の中でも 日本維新の会 みんなの党 は、政策も近く合併話が持ち上がっていた。しかし両党ともに党内は一枚岩ではなく、合併などを巡って党内対立が存在していた。
   みんなの党内では、党運営を巡る対立や 特定秘密保護法 をめぐる政策の違い、野党再編に向けたスタンスの違いから 渡辺喜美 代表と 江田憲司 幹事長らの対立が激化。同党を除名された江田らを中心に 2013年 12月18日 結いの党 が発足した。
   江田らは従来から日本維新の会などとの選挙協力や将来的な政界再編を目指しており、 2014年 1月からは結いの党と日本維新の会の政策協議がスタート、さらに地方議会レベルでは 東京都議会 神奈川県議会 などで結いの党と日本維新の会の合同 会派 が続々と誕生した。これに対して今度は日本維新の会内で、結いの党との合流に肯定的な橋下のグループと否定的な 石原慎太郎 のグループとの党内対立が激化。結果、日本維新の会は 7月31日 に解党した。
   翌 8月1日 、石原らは 次世代の党 を結党し離脱、残った議員が改めて日本維新の会(法的には、前日に解散された日本維新の会とは同名義の別団体)を再結党し総務大臣に設立届けを提出 8月3日 、日本維新の会と結いの党が合流に向けて新党設立準備会を設立 両院議員総会 で新党名が「 維新の党 」に正式決定された。

結党
   2014年9月21日に結党大会を開き、正式に発足 橋下徹 代表と、旧結いの党の 江田憲司 代表が共同代表を務める形となった。 大熊利昭 衆議院議員についても同日入党が認められた。
   なお、「結いの党」はこれに先立つ同日午前、結党大会の会場と同じ 東京 高輪 ホテル の隣の部屋で解党大会を開き、同日中に総務大臣に解散する届け出を行った。
   翌22日、大阪府選挙管理委員会を通じて総務大臣に「日本維新の会」を「維新の党」に名称変更する届けを提出し、受理された。 衆議院事務局 および参議院事務局に 院内会派 日本維新の会・結いの党 (会派略称: 維結 )」を「維新の党(略称: 維新 )」に変更することを届け出た。会派構成人数は衆院41人、参院11人で変更前と変わらず

結党後の総選挙
   10月27日には 民主党 と維新の党の両国会対策委員長が会談し、衆院予算委員会にて両党であらかじめ質問のすみ分けを行った上で首相を追及することを確認した。 愛知12区 山梨1区 などで候補者の一本化に成功し、30あった両党の競合区を21にまで減らした。
   2014年12月、 第47回衆議院議員総選挙 が執行される。合併を巡る維新・みんな双方の党内対立や政党名変更から維新・橋下人気に陰りが出たとみられており、マスコミなどの事前予想では現有42議席からの大幅減は不可避、30台維持で大善戦、との見方であった。 自民党 公明党 曰く、「歴史的な大勝利となります。なるんです。もう維新の党、はっきり言って負けます」。
   しかし、 衆議院 で従来の42議席から1議席減の41議席と事前情勢調査より善戦し、第3党に踏みとどまる形となった。 前回衆院選 と比べ勢いを欠いている情勢について、橋下は「維新の党に対する信任、党代表の僕への信任がなかったということだ」と述べた。
   この頃、維新の党是であった。 大阪都構想 が佳境を迎えていた。23日、橋下が「大阪都構想の実現に専念したい」として翌年春の統一地方選挙まで「いったん」共同代表を辞任することを表明、松井一郎幹事長も橋下に同調して辞任した。これにともない、江田が単独の代表に、松野頼久国会議員団長が幹事長に就任。橋下は党の最高顧問、松井は党の顧問に就任したことが維新の党から発表された。
   統一地方選挙で党勢を拡大して迎えた2015年5月17日、 大阪都構想 住民投票 が行われ、都構想は反対多数で否決された。橋下は大阪市長の任期終了後の政治家引退を表明した。同時に江田も代表を退くことを表明した。5月19日、 幹事長 の松野が代表に選ばれた。

分裂
   代表に就任した松野は5月24日の記者会見で「年内に百人以上の規模の新党を作る」と、野党再編に意欲を示した。 安全保障関連法案 などへの対応をめぐっても両者間で路線対立が起きた。
   8月14日、幹事長の 柿沢未途 山形市長 選挙において、民主党・ 共産党 などが推薦する候補者を独断で応援しに行った。
   橋下は新党を10月には結成すると述べ、また民主党出身者の参加を認めない方針を示し 馬場伸幸 国会対策委員長、 片山虎之助 総務会長らが新党( おおさか維新の会 )への参加を表明した。
   10月14日、分党協議が決裂し、松野ら執行部側は片山、馬場、 東徹 参議院議員を新党参加を理由に 除籍 処分とした。 大阪市 の党本部にある 政党交付金 用の通帳や印鑑を国会議員が交代で死守するなど、両者の争いは泥沼化した。
   21日には、参院の会派代表は新党派の片山が握っていたため、執行部派の5人( 小野次郎 真山勇一 柴田巧 寺田典城 川田龍平 、いずれも旧 結いの党 出身者)の会派離脱を 参議院事務局 に届け出、事実上の追放となった。
   22日、松野、橋下両派と距離を置く 小沢鋭仁 小熊慎司 村岡敏英 重徳和彦 の4名が離党届を提出し 12月21日 、新党( 改革結集の会 )を結成
   大阪系の議員は、9月末をもって松野の任期は切れたため執行部による処分は無効、との解釈の下、24日、大阪市内のホテルで「臨時党大会」を開催、議決権を持つ特別党員の過半数に当たる233人(委任を含めると287人)が出席したため、「党大会」は成立と主張し、新代表に 馬場伸幸 衆議院議員を、幹事長に 今井豊 大阪府議を選出した上で、維新の党の解党を全会一致で決定した。
   松野らは、「 有印私文書偽造 にあたる」と 告訴 する方針を表明し、 東徹 参議院議員と事務局長に対し、大阪市の党本部で管理している党員名簿の返還を求める 訴訟 大阪地裁 に起こした。
   11月17日、新党に参加した国会議員のうち維新の党に党籍の残る7名が除籍処分となり、離党を表明したが新党には参加しない6名の離党届は受理された。
   維新の党が分裂した原因は表向きは柿沢幹事長の解任騒動である。しかし、水面下では橋下派が党代表選で主導権を握るべく党員も議員も一人一票とする方針を決めたところ、これに 生活の党 代表の 小沢一郎 が目をつけ、民主党など野党との共闘路線を説く松野を再選させるべく、生活の党や維新の党内の小沢系議員に維新の党の党員集めを指示した。元側近の 松木謙公 幹事長代行が1万人、松野が3千人、牧義夫国対委員長が千人の党員を集めた。これらの動きを察知した橋下は代表選で負ける前に先手を打つ形で党を割ることを決断したと 産経新聞 の政治部編集委員は分析している。

野党再編
   分党問題に決着をつけた維新の党(松野ら)は、民主党との連携に関心を移す。 12月18日 、衆議院統一会派「民主・維新・無所属クラブ」が結成される。会派には無所属の衆議院議員 野間健 も参加し、93名となった。 2016年 1月6日 、参議院で 日本を元気にする会 との統一会派「維新・元気の会」を結成する。
    2月22日 、松野と民主党の 岡田克也 代表が会談し、民主党が維新の党を吸収合併することで合意した。
   新党の党名に関しては民主側は党名の継続を、維新側は党名変更を主張したため、両党のホームページとファックスを用いて一般公募を行い 3月14日 、新しい党名が『 民進党 』に決定する。以降両党内部で手続きが進められ、 3月25日 、松野・岡田の両代表間で合併協議書が調印された。 改革結集の会 も民進党へ参加、再び行動を共にすることとなった(議員5人の内、小沢鋭仁はおおさか維新の会へ合流)。
    3月27日 、『民進党』結党大会に先駆けて午前中に行われた維新の党の臨時党大会において、新党「民進党」結成のための解党を決議、全会一致で採択された。
   政党交付金については必要経費を差し引いた残余金の2億円を国庫に返納した。
    2017年10月22日投開票の 第48回衆議院議員総選挙 に際し、 希望の党 への参加を拒否された民進党議員ら(前職では民主側から11名、維新側から5名)は、新党( 立憲民主党 )を結成した。

基本政策
   結いの党の綱領に見られた保守 リベラル 」を越えた政治を目標とする という文言は維新の党の綱領にも引き継がれた。
   基本政策の第一に「憲法改正による統治機構改革」を掲げ、具体的には会計制度や会計基準の変更、予算編成プロセスの改革、憲法67条改正による 首相公選制 の導入、憲法96条の改正要件柔軟化などを掲げている。また、 道州制 の導入、安全保障政策の主軸としての 日米同盟 堅持、 特定秘密保護法 の見直し、持続可能な社会保障制度改革の実現、教育行政に対する権限を地方自治体に移譲する教育制度改革などを掲げている。
  1. 憲法 改正による統治機構改革
    1. 会計制度改革、予算編成プロセスの改革
    2. 憲法67条 改正による 首相公選制 導入
    3. 憲法96条 改正による 憲法改正 要件の柔軟化
  2. 道州制 の導入
  3. 市場メカニズムを通じた「 原発 フェードアウト」と「 自然エネルギー 立国」
  4. 集団的自衛権 の検討を含む「自衛権」行使の範囲の適正化と法整備、「 ソフトパワー 外交」の積極的展開
  5. 少子高齢化 に対応できる持続可能で受益と負担を明確化した「社会保障制度改革」
  6. 教育行政に関する権限を地方自治体に移譲
  7. 被災地主導の「震災復興」と国主導の「原発事故対応」を加速化
役員
役職名 氏名 出身 議会等
代表 松野頼久 民主党 維新 国会議員団 衆議院議員
幹事長 今井雅人 民主党→ 維新国会議員団 衆議院議員
  代行 松木謙公 新党大地 衆議院議員
  代理 井坂信彦 結いの党 衆議院議員
  代理 木内孝胤 生活の党 衆議院議員
両院議員総会長 坂本祐之輔 維新国会議員団 衆議院議員
総務会長 牧義夫 生活の党→結いの党 衆議院議員
  代行 柴田巧 結いの党 参議院議員
  代理 水戸将史 民主党→ 維新国会議員団 衆議院議員
  代理 川田龍平 結いの党 参議院議員
政務調査会長 小野次郎 結いの党 参議院議員
  代理 井出庸生 結いの党 衆議院議員
  代理 高井崇志 民主党 衆議院議員
国会対策委員長 石関貴史 民主党→ 維新国会議員団 衆議院議員
選挙対策委員長 松木謙公 新党大地 衆議院議員
党規委員長 川田龍平 結いの党 参議院議員
役員室長 松木謙公 新党大地 衆議院議員
参考(歴代)
代表 代表代行 副代表 幹事長 幹事長代行 政務調査
   会長
総務会長 国会対策
   委員長
参議院会長 選挙対策
   委員長
就任年月
橋下徹
江田憲司
松野頼久 今井豊 松井一郎 小沢鋭仁 柿沢未途 片山虎之助 松浪健太 松野頼久 2014年9月
江田憲司 (廃止) 谷畑孝
   今井豊
松野頼久 松浪健太 馬場伸幸 片山虎之助 石関貴史 2014年12月
松野頼久 柿沢未途 松木謙公 今井雅人 松浪健太 2015年5月
今井雅人 井坂信彦 小野次郎 牧義夫 2015年9月
(廃止) (空席) 今井雅人 2015年10月
小野次郎 牧義夫 石関貴史 寺田典城 松木謙公 2015年12月
2015年12月8日執行役員会で承認
   党発足当初の執行役員人事をめぐっては両共同代表間で協議したうえで指名する形がとられた。 2014年の衆院選 を経た後の人事では、当選回数の比較的多い衆議院議員を中心として、各グループの人数に比例したような役員構成となっていた。
   なお、2014年12月24日の役員会ののち、党からは、前共同代表の橋下徹は最高顧問、前幹事長の松井一郎は顧問となったという公式発表があったが、橋下自身は「いちばん嫌いな肩書き」「死んでもやだ」などと最高顧問への就任を拒否。これに対し江田代表は「執行役員会で決定し、完全に有効だ」と述べ
    2015年 5月19日 大阪都構想 の住民投票の結果、否決された責任をとって辞任した。 江田憲司 代表の後任に 鳩山由紀夫 内閣総理大臣 の最側近であった、 松野頼久 幹事長を選出 柿沢未途 政調会長、政調会長の後任に 今井雅人 政調会長代理を充て、橋下最高顧問、松井顧問、 馬場伸幸 国対委員長、 片山虎之助 総務会長を留任させる人事を決定した。 松木謙公 石関貴史 の辞任後空席 松浪健太 、柴田巧総務会長代理が兼任していた役員室長に 石関貴史 を起用した。
   2015年8月27日、橋下と松井が離党したため、顧問と最高顧問は空席になった。同年9月8日、橋下・松井らの動きに同調する 馬場伸幸 国対委員長、 片山虎之助 総務会長、及び橋下らの離党の原因を作った。 柿沢未途 幹事長を解任、後任には新党に参加しないことを表明している 今井雅人 政調会長を幹事長、 小野次郎 幹事長代理を総務会長、 井坂信彦 政調会長代理・選対委員長代理を政調会長、 牧義夫 を国対委員長に充てた。 谷畑孝 が副代表辞任を申し出 東徹 参議院議員、政調会長代行の 浅田均 大阪府議、国対委員長代行の 遠藤敬 衆議院議員、 松浪健太 選挙対策委員長らを除籍した。 村岡敏英 国対委員長代行、 小熊慎司 選対委員長代行が離党届を提出した。
   同月24日、除籍された議員や「中間派」とされる議員らは、執行部を認めない立場から臨時党大会を開催し、松野代表によってなされた除籍処分を無効であると確認した上で、馬場伸幸を新代表に選出するとともに、維新の党の解党を決議したが、松野代表側は党大会を無効と主張している。
   馬場らの一連の行動にかかわらず、7月12日に開催された「全国幹事長・事務局長会議」において11月初旬に行うと明らかにされていた代表選について
   党役員(馬場執行部)
   2015年10月24日、松野執行部と対立していた大阪系議員らによって開催された臨時党大会にて 馬場伸幸 が新たに代表に選出され、当日「新執行部」を選出した。選出された馬場ら4人はすぐには新党「おおさか維新の会」には参加せず、解散手続きを行うとしていた。
   2015年12月8日、お互いの正当性をめぐって内紛を繰り広げていた松野執行部と馬場執行部が和解。馬場執行部は新党 おおさか維新の会 に移籍するため解消へ
馬場執行部(解消)
役職名 氏名 出身 議会等
代表 馬場伸幸 大阪維新の会 衆議院議員
副代表 谷畑孝 自由民主党 維新 国会議員団 衆議院議員
副代表 横倉廉幸 大阪維新の会 大阪府議会議員
幹事長 今井豊 大阪維新の会 大阪府議会議員
  代行 遠藤敬 自由民主党→ 維新国会議員団 衆議院議員
総務会長 東徹 大阪維新の会 参議院議員
  代理 西林克敏 大阪維新の会 大阪府議会議員
政務調査会長 浅田均 大阪維新の会 大阪府議会議員
  代理 大内啓治 大阪維新の会 大阪市会議員
(2015年10月24日選出国会議員団役員廃止)
   結党時には日本維新の会時代の「国会議員団代表」にあたる国会議員組織長を党所属国会議員の投票による選挙で選出することが定められ、初回の選挙を9月22日候補者届出、24日投開票の日程で実施することが21日発表された。 松野頼久 のみが立候補し、松野の初代国会議員団会長就任が確定した。
   しかし、 第47回衆議院議員総選挙 を経た12月24日の役員会で橋下代表・松井幹事長の役職辞任が決定されると同時に、党執行役員会と国会議員団の「二重構造」の解消を目指して国会議員団の廃止が提唱された。これにより人事の発表が見送られ、維新の党の公式ウェブサイトからも国会議員団のページが消えた。江田代表は次回通常国会( 第189回国会 )の開会までに正式に結論を出すとしている。
   同月22日の幹事長記者会見において、松野頼久幹事長は記者団の質問に対し、この統合は橋下代表・松井幹事長が党要職から抜けている間の暫定的な措置であること。および国会運営に関わる部分の意思決定についてのみは国会議員団規約に基づいた両院議員総会を最高機関とし、党執行部と国会議員団の意見が異なる場合は両院議員総会における過半数意見が優越する制度を維持している旨明らかにした。
旧・国会議員団役員(廃止)
議員団役職 氏名 執行役員会役職(当時) 備考
会長
   選挙対策委員長
松野頼久 代表代行 旧日本維新の会・国会議員団代表
  副会長 谷畑孝 旧維新・議員団両院議員総会長兼代議士会長
役員室室長 柴田巧 総務会長代理 旧結いの党・参議院国会対策委員長
  副室長 小熊慎司 旧維新・議員団国会対策委員長代理
広報委員長
  代理 林宙紀 旧結い・広報委員長
幹事長 小沢鋭仁 幹事長代行 旧日本維新・議員団幹事長
  代理 室井邦彦 旧維新・議員団参議院幹事長
  代理 村岡敏英 旧維新・議員団幹事長代理
政調会長 片山虎之助 総務会長 旧維新・議員団政調会長
  代理 柿沢未途 政調会長 旧結い・政調会長
  代理 今井雅人 政調会長代理 旧維新・議員団政調副会長
両院議員総会長 小野次郎 幹事長代理 旧結い・幹事長
  副会長 清水鴻一郎 旧維新・議員団党規委員長
総務会長 川田龍平 旧結い・政調会長代行兼国対委員長代理(参)
  代理 東徹 総務会長代行 旧維新・総務会長
国対委員長 松浪健太 旧維新・議員団総務会長
  代理 石関貴史 旧維新・議員団国対委員長
財務委員長
党紀委員長 馬場伸幸 旧維新・議員団総務会長代理兼組織委員長
   大阪維新の会副代表
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