NHKが下記のようにウェブサイト上に掲載した。
 番組製作上、散々、ジャニーズを利用しながら、そこに強姦的犯罪があったことをマルで知らなかったかのように頬被り決め込む姿勢は、当に、捏造虚報情宣で、日米戦争を煽り、多くの悲劇を齎しながら、その罪を大日本帝国軍部に擦り付けて、自らは正義の報道機関であるかのように振る舞う悪魔の所業…
元ジャニーズの男性「ジャニー喜多川さんから性的行為」
2023年4月13日 16時11分
 2016年までジャニーズ事務所で活動していた男性が当時の事務所の社長で4年前に亡くなったジャニー喜多川さんに15歳のころから性的な行為を受けていたと会見で述べました。
 取材に対しジャニーズ事務所は、「聖域なきコンプライアンス順守の徹底、偏りのない中立的な専門家の協力を得てのガバナンス体制の強化等への取り組みを、引き続き全社一丸となって進めてまいる所存です」などとコメントしています。
  会見したのは、ミュージシャンのカウアン・オカモトさんです。
 オカモトさんによりますと2012年から2016年までジャニーズ事務所に所属し、「ジャニーズJr.」として活動していましたが、この間に当時の社長で2019年に亡くなったジャニー喜多川さんから15回から20回ほど性的な行為を受けたということです。
 最初は、中学3年生の15歳のころだったということで会見でオカモトさんは、「みんな気に入られないといけないという認識があったと思う。ジャニーさんには感謝の気持ちはあるが、15歳の僕に性的行為を行ったのは悪いことだと思っている」と話していました。
 取材に対しジャニーズ事務所は「2019年の前代表の死去に伴う経営陣の変更を踏まえ、時代や新しい環境に即した、社会から信頼いただける透明性の高い組織体制および制度整備を重要課題と位置づけてまいりました」とした上で「経営陣、従業員による聖域なきコンプライアンス順守の徹底、偏りのない中立的な専門家の協力を得てのガバナンス体制の強化等への取り組みを、引き続き全社一丸となって進めてまいる所存です」などとコメントしています。

ジャニーズと『紅白歌合戦』の60年近い歴史を振り返る。なにわ男子など今年出場グループの見どころも
2022.12.21 Wed
  2022年で73回目を迎える『NHK紅白歌合戦』 (以下、『紅白』)。毎回話題になるのが、ジャニーズの出場だ。今年も6組が出場するが、じつはジャニーズの『紅白』出場の始まりは1965年のこと。その歴史はすでに55年以上に及ぶ。その変遷を振り返りつつ、今年の見どころなどにふれてみたい。
ジャニーズの『紅白歌合戦』出場はいつから? 初代ジャニーズとフォーリーブス
 いまでこそジャニーズが大挙出場するのは当たり前のようになっているが、昔からそうだったわけではない。出場組数という意味で『紅白』でのジャニーズの存在感が大きく増し始めたのは、2000年代も後半になってからである。
 では、それ以前はどうだったのか?
 ジャニーズで初めて『紅白』に出場したのが、1965年のジャニーズ(事務所名と区別する意味で、以下「初代ジャニーズ」と表記)だった。のちに俳優となり、ソロ歌手としても『紅白』出場を果たしたあおい輝彦のいた事務所創業時のグループだ。
 ただ、初代ジャニーズは翌1966年、武者修行のため長期の渡米に踏み切る。もし『紅白』へのこだわりが強かったならば、初出場の翌年は日本でテレビの仕事に1年間精力的に取り組んだはずだ。だがジャニー喜多川の海外へのこだわりは、並々ならぬものがあった。そうしたこともあり、初代ジャニーズの『紅白』出場は結局1回のみで終わっている。
 その直属の後輩であるフォーリーブスは、よりテレビに積極的だった。音楽番組だけでなくバラエティー番組でも活躍した彼らは、初出場の1970年から1976年まで7回連続で出場。いまでは想像できないが、本格的な「歌って踊れる若手歌手」は彼らが初めてと言ってもよく、それだけ重宝された。
苦境に陥ったジャニーズ事務所を救った「たのきんトリオ」。そして一世を風靡した光GENJIへ
 フォーリーブスに続いて『紅白』に登場したのが、今年も出場する郷ひろみである。「新御三家」(編注:当時人気を博した三人の男性アイドルの総称で、あとの二人は西城秀樹と野口五郎)の一人として一世を風靡した郷は、1973年が初出場。この年と翌1974年は、フォーリーブスとともにジャニーズからは2組の出場となった。
 1973年に初出場の郷ひろみが披露した“男の子女の子”
 ところが1970年代後半、郷の事務所移籍、フォーリーブスの解散などによってジャニーズは苦境に陥る。『紅白』の出場も途切れた。その状況を救ったのが、田原俊彦と近藤真彦である。野村義男とともに「たのきんトリオ」として人気が沸騰した田原と近藤は、田原が1980年、近藤が1981年にそれぞれ初出場を果たすと『紅白』の常連になっていった。
 同時に1980年代は、ジャニーズの活動形態がソロ中心からグループ中心へと変わる過渡期でもあった。1982年にシブがき隊、1986年に少年隊、そして1988年に光GENJIと男闘呼組がそれぞれ初出場。特に光GENJIの人気は当時すさまじく、初出場にもかかわらず“ガラスの十代”から始まる4曲メドレーという特別待遇だった。
『紅白』の顔になったSMAP。史上初、グループでのトリという快挙も
 1990年出場の忍者は、光GENJI、男闘呼組と競い合った間柄なので、1980年代の流れのなかにいる存在だ。その意味で、実質的に『紅白』におけるジャニーズの1990年代が始まるのは、SMAPからである。
 1980年代までのジャニーズは、『紅白』での存在感は比較的薄かった。歌う順番も前半のトップかそれに近い順番のことが多く、後半に歌うことはむしろ珍しかった。先述したように、社会現象的ブームを巻き起こした光GENJIは4曲メドレーという破格の扱いだったが、歌った順番は白組のトップバッターだった。最終的に1993年まで6回連続で出場するものの、順番的には後半の早い時間帯での登場にとどまった。
 その流れを変えたのが、SMAPである。1991年の初出場からしばらくは彼らも前半に歌っていたが、1996年には“SHAKE”で後半に、1998年の“夜空ノムコウ”では白組の最後から3番目と序列を上げていき、そしてついに2003年に“世界に一つだけの花”で初のトリ(大トリ)となった。これは、『紅白』史上初のグループでのトリという快記録でもあった。いかに彼らが前例を破る存在だったかの証しだろう。その間、1997年には中居正広が史上最年少(当時25歳)で白組司会を務めるなど、SMAPはまさに『紅白』の顔になっていく。
10年以上続いた、SMAPとTOKIOの「2組体制」
 とはいえ、そこでジャニーズの出場組数が飛躍的に増えたわけではない。むしろ逆だった。1994年にはSMAPと同世代に当たるTOKIOが初出場するが、その後は基本的にその2組だけという年が2000年代後半まで続いていく(2001年と2004年はSMAPが辞退)。
 もちろんその間、V6、KinKi Kids、嵐などジャニーズグループが続々CDデビューしていた。だがそれらのグループの『紅白』出場は、当時まだなかった。出場組数だけで言うと、3、4組程度の出場が多かった1980年代よりも少ない。
 理由はいろいろあるだろうが、ひとつ考えられるのは、ジャニーズ年末恒例のカウントダウンコンサート(ライブ)、いわゆる「カウコン」との兼ね合いである。
 カウコンの始まりは1996年。V6が開催したのが最初である。翌1997年には、阪神・淡路大震災復興支援のためにTOKIO、V6、KinKi Kidsによって結成されたユニット「J-FRIENDS」が開催し、そのかたちが2002年まで続いた。2003年からは、それ以外のグループやタレントも出演。現在のような形態になっていく。その間、1998年からはKinKi Kidsによる東京ドームでの大晦日ライブも始まった。
 近年の『紅白』では、ライブ会場からの生中継で出演する歌手も珍しくない。だがこの頃はまだ、出場歌手は『紅白』のステージでという原則も強固だった。
ジャニーズ出場がぐんと増えた、嵐初出場以降
 ふたたび大きく構図が変わるのは、2009年嵐の初出場からである。この年を機に、ジャニーズの出場組数はぐんと増えていく。
 2019年のCDデビュー後10年越しに初出場した嵐は、デビュー曲“A・RA・SHI”、“Love so sweet”(2007年)、“Happiness”(2007年)、“Believe”(2009年)の4曲からなるメドレーを披露した
 まず2009年は、NYC boys(のちにNYC)も初出場でSMAP、TOKIOと併せて計4組のジャニーズが出場。そして2012年には関ジャニ∞が加わって5組に。そして2014年には、SMAP、TOKIO、嵐、関ジャニ∞、Sexy Zone、V6の6組となった。その後は、5組から7組のあいだを推移している。
 増えてきた理由としては、まず『紅白』において、ジャニーズに限らず「デビュー○○周年」といった節目のアーティストが出場するパターンが増えてきたことがある。V6を例に取ると、2014年の初出場はメンバーの岡田准一がその年NHK大河ドラマ『黒田官兵衛』の主演を務めたこともあったが、グループとしてCDデビュー20年目の節目に当たっていた。KinKi Kidsの正式な初出場(特別枠での出演はそれ以前にもあった)となった2016年も、同じく20年目だった。最近では、昨年のKAT-TUNの15周年も然りである。
 V6が初出場時に披露したのは、1997年リリースの“WAになっておどろう”
 もうひとつの理由は、「ジャニーズ」という文化が世間に浸透したことだろう。
 初出場から2020年の活動休止まで12年連続出場し、とりわけSMAP解散以降は『紅白』の屋台骨を支える存在となった嵐、また嵐の活動休止以降のジャニーズ出場組の筆頭格となった関ジャニ∞は、ともに1990年代後半の「ジャニーズJr.黄金時代」を担ったメンバーたちである。
 ジャニーズの歴史を振り返るとき、この黄金時代の持つ意味は想像以上に大きい。滝沢秀明をはじめとして、まだCDデビュー前のJr.たちがテレビにライブにと大活躍することで、「ジャニーズ」という独特の文化が世間全体に広がる重要なきっかけになった。したがって、黄金時代出身の嵐や関ジャニ∞の出場は、『紅白』に新たな視聴者層を惹きつけることになったに違いない。視聴率が長期的に下降傾向にある『紅白』にとっても、当然歓迎すべきことだっただろう。その流れが、ジャニーズの出場組数が増加する理由の一端になったのではあるまいか。
 2012年以来毎年出場している関ジャニ∞。昨年は“Re:LIVE”(2020年)を歌唱した
今年は6組が出場。関西勢の健闘など、気になる見どころは?
 そして今年の出場組数は6組。CDデビュー順にあげると、KinKi Kids、関ジャニ∞、King & Prince、SixTONES、Snow Man、なにわ男子となる。
 顔ぶれを見ると、まず関西勢の健闘が目につく。KinKi KidsはCDデビュー25周年の節目、関ジャニ∞はいまや常連中の常連、なにわ男子は初出場だが、いまだ出場を果たしていないジャニーズWESTとも併せ、近年活躍が目立つ関西ジャニーズの勢いを反映したものだろう。
 また、CDデビューしてまだ年数の浅い若手グループの出場も多い。King & Princeのデビューが2018年、SixTONESとSnow Manが2020年に同時デビュー、さらになにわ男子が2021年と数年以内にデビューしたグループが過半数を占める。このあたりは、若い視聴者向けにシフトしたとされる今年の紅白のトレンドも感じさせる部分だ。
 むろんパフォーマンス面でも期待が高まる。
 KinKi Kidsはデビュー25周年の今年、精力的に活動してきた。すでにさまざまな音楽番組で見事なパフォーマンスを披露しているが、とりわけ『紅白』のセットと演出でどの楽曲を披露するのか、一段と期待が高まる。
 今年発売されたKinKi Kidsの“Amazing Love”
 同じ関西勢の関ジャニ∞となにわ男子は、関ジャニ∞の大倉忠義がなにわ男子のプロデュースをするなどもともと関係が深い。それぞれのパフォーマンスも楽しみだが、なんらかのコラボがあることを期待したい。
『紅白』は時代を映す鏡でもある。今年も記憶に残るパフォーマンスに期待
 同時デビューのSixTONESとSnow Manは、昨年の『紅白』で初の揃い踏み。今後、『紅白』の常連となって番組を支えていきそうな2組である。それぞれ華のある両グループの確かな個性と実力を示すパフォーマンスになることだろう。
 King & Princeは、ご存知のようにメンバーの3人が来年脱退・退所するという発表があったばかり。今年はヒップホップ曲“ichiban”がSNSで大きくバズるなど、新しい可能性も見えていただけにファンならずとも残念に思うひとは多いはずだ。このままならば、5人での『紅白』パフォーマンスは最後。目に焼きつけておきたい。
 King & Prince“ichiban”
 『紅白』という番組はただの音楽番組ではなく、時代を映し出す鏡でもある。振り返れば、だからこそ生まれたジャニーズの名演もあった。
 2011年、東日本大震災があった年の大トリだったSMAPによる“オリジナル スマイル”の歌声が感じさせてくれた力強い励ましは、いまでも忘れがたい。また、2005年の“Triangle”は、反戦のメッセージを込めた楽曲。戦後60年の年に平和を願って歌われたものだった。ウクライナ侵攻の終わりがいまだ見えない現在、叶うものならば今年の『紅白』で聞いてみたかった一曲だ。
 もちろん名演は、私たちそれぞれにあるものだろう。今年も、ジャニーズ出場組からそんな記憶に残るパフォーマンスが生まれることを願いたい。
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