オウム真理教事件 で、対カルト忌避感情が世に蔓延したので、在⦿マスコミは、日本衰退用の手駒として「宗教色薄めた霊的妄論」を活用しはじめた。ターゲットは、 熟慮性が低い直感思考的テレビ視聴者 だ。
 東洋経済新報社記者が東京大学教授にインタビューした下記の記事で、在⦿マスコミ報道の狙いを窺い知ることができる。
 2023年4月に大阪で開催されたイベント「癒しフェア」は7日間で7千人以上が来場。癒し・スピリチュアル関連の商品販売やセミナー、講演会は大盛況だった。
 安倍晋三元首相が銃弾に倒れて1年。旧統一教会問題(世界平和統一家庭連合)やエホバの証人など、新宗教の問題がクローズアップされてきた。一部の宗教が批判にさらされる一方、パワースポットや占い、癒し、スピリチュアルをテーマにしたイベントの人気は衰えない。
 その根底にあるのは、「霊を信じるが無宗教」という日本人のメンタリティだ。オウム事件以降、2000年代から本格化した癒しやスピリチュアル・ブームの背景について、スピリチュアリティ研究が専門の東京大学の堀江宗正教授に話を聞いた。
霊という文字の暗いイメージから脱却―日本で「癒し」や「スピリチュアル」という言葉がはやり出したのはいつ頃でしょうか。〔東洋経済 井艸恵美記者。以下〖記〗と表記〕
 日本では1970年代からオカルトやニューエイジ、精神世界と呼ばれる、宗教団体と一線を画したブームが起こりました。1995年のオウム真理教事件を経て下火になるかと思いきや、2000年代にはテレビ・書籍を中心にスピリチュアル・ブームが起こります。
 その象徴的な存在はスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏です。ピークは2007年あたりで、その後、江原氏がテレビ出演を控えたのでブームは衰退したように思われています。しかし、出版やネットユーザーの動向を見る限り、2011年の東日本大震災以降にも関心の高まりがみられます。
2000年代初頭は江原氏が芸能人を霊視するテレビ番組「オーラの泉」が放送され、一般にスピリチュアルという言葉が定着したように思えます。〖記〗
 年に2度ほど放映された特別番組「天国からの手紙」も、故人となった霊のメッセージを江原氏が遺族に伝えるという内容でした。このような能力をもつ存在は、従来なら「霊能者」「霊能力者」と呼ばれてきましたが、江原氏は霊という文字の暗いイメージからの脱却を図るため、自らを「スピリチュアル・カウンセラー」と呼びます。
 江原氏は集団を組織する権威主義的な「宗教」とは距離を置きます。心理学用語やカウンセリングという言葉を用いながら、個人カウンセリングは行わず、メディアを活動の中心としました。「スピリチュアル」をキャッチフレーズとした生活に役立つ商品(聖地の旅行ガイド、音楽作品、ダイアリー、育児書など)を販売しました。
江原氏のような存在がブームになったのは、日本人の宗教観から見て、どう解釈できますか。〖記〗
 国語辞典や英語圏の辞書を見る限り、宗教とは超越的な存在や力を前提とする信念と実践ということになります。占いなどもこれに当てはまりますが、日本人の間では、個人的な信念や実践は宗教とは呼ばれません。個人と社会の間の拘束力が強い中間団体が、とくに「宗教」と呼ばれる傾向があります。
 各種の宗教意識調査を総合すると、「宗教」を信仰する人は20%台であり、大学生に至っては1割に満たない。ところが、霊魂やあの世の存在への肯定回答率は過半数を超えることがあります。つまり、現代日本においては「霊を信じるが無宗教」という層が広まっている可能性があります。
 江原氏のように「宗教」と批判的距離を置きながら、「霊」への関心を満たしてくれるようなカリスマ的存在が受け入れられる背景には、このような宗教意識の土壌があるのです。
 もう1つの要因は、オウム事件以降の特殊なメディア環境です。
カルトは叩くがスピリチュアルは持ち上げる―特殊なメディア環境とは何でしょうか。〖記〗
 オウム事件があった1995年から1999年までは、メディアにおける「カルト」批判が最も激しい時期でした。この時期、心霊番組や超常現象を扱うテレビ番組は一気に姿を消します。
 ところが、2001年以降は急速に復活を遂げます。江原氏以前に注目を浴びていた霊能者である宜保愛子氏は、2001年以降はテレビで復活しますが、2003年に他界してしまう。そこに、江原氏がテレビに登場するようになったのです。
 2000年までは反カルト一色でしたが、2001年からは「カルト」は叩くが、「スピリチュアル」は持ち上げるメディア環境に転じたと見ることができます。それを矛盾と感じないような「霊を信じるが無宗教」というメンタリティが定着しているといえます。
 超越的な力を前提とする信念や儀礼であっても、「特殊な拘束集団」と関わりがなければ、つまり個人的信念にとどまるものであれば「宗教」とは呼ばずに受け入れる態度が、メディアを中心に、またその影響を受けやすい若者から中年世代に広がりました。
オウム事件によって宗教への警戒心は高まったが、新たに「スピリチュアル」という言葉が「霊を信じるが無宗教」という層の受け皿になったということですね。〖記〗
 そうです。オウム事件が起きたすぐ後、宗教学者の阿満利麿(あまとしまろ)氏が書いた『日本人はなぜ無宗教なのか』では、日本人の7割が無宗教であると答えるのに、その4分の3が広い意味での宗教心は大切と答えているという調査を取り上げ、この「無宗教の宗教心」の形成過程を明らかにしました。オウム事件直後の反カルト的な雰囲気が充満する中、日本人の宗教性が「無宗教の宗教心」として規定されたのは示唆的でした。
 実際、事件後は宗教団体の活動は目立たなくなりましたが、無宗教の宗教心に近い「スピリチュアル」や「癒し」が台頭したのですから。
現在は統一教会問題を機に宗教への批判が高まっています。オウム事件後のように、数年したらスピリチュアル・ブームが再燃するのでしょうか。〖記〗
 つねにニーズはあると思います。2000年代にテレビで心霊やスピリチュアルが急に復活したのも、やはりニーズがあったからです。今はテレビからYouTubeなどへ媒体がシフトし、江原氏ほどでなくても、捉えにくい形で特定のYouTuberの人気が出ていく可能性があります。
2005年にスタートした「癒しフェア」というイベントでは、占いから美容商品まで、癒し関連のセミナーや商品の販売者が出展しています。2023年4月に大阪で開催された癒しフェアでは、2日間で7626人(オンライン参加含む)が来場し、大盛況でした。〖記〗
 「癒し」の人気が出たのはスピリチュアル・ブームより前の1997年頃からです。トラウマ(心の傷)という言葉が認知され、傷の癒しが注目されるようになりました。
 それ以前は、癒しは自発的な治癒力の活性化を意味していました。ところが、その意味を離れて、リラックス効果をうたった商品のキャッチフレーズとして使われるようになりました。
 商品販売を主とする出展者が多い癒しフェアなどのイベントも、このような時代の流れと一致しています。癒しフェアでは、出展するセミナー会社や癒し関連商品の販売者自身も、空き時間にはほかの販売店を回るなど客のように行動しています。
 逆に今回は出展者ではない客が、普段は占いやヒーリングなどを実践している場合もあります。癒し関連の民間資格が得られるセミナーを受けると、「消費者であり生産者でもある」という状態にすぐになれるのです。
癒しやスピリチュアル、ヒーリングなどさまざまな言葉が使われているのはなぜでしょうか。〖記〗
 ネット上では「スピリチュアル」が虚偽や詐欺、信じやすさというイメージで批判されるため、当事者がスピリチュアルという言葉を使うのを避けています。特に彼らは宗教と同一視されることを恐れます。
 耳に心地よいスローガン的な言葉が登場しても、世間に流布すると「宗教」と同様ではないかと叩かれて廃れていき、別の言葉に取って代わられる。その結果、さまざまなニュアンスの異なる言葉が乱立することになります。
政党と関わりたくないという人が多い—陰謀論や反ワクチンに関わる主張をする人たち、例えば参政党の支持者と、スピリチュアル信奉者は重なりますか。〖記〗
 私の調査では、一般の人に比べれば、スピリチュアリティに関心のある層で陰謀論に引きつけられる人が多いのはたしかです。ただ、参政党などの支持者は、スピリチュアリティに関心がある人の中でもごく一部のマイノリティです。
 スピリチュアリティには反原発など左派的な面もあり、概して無党派層が多い。陰謀論を唱えるカルトや参政党などに関わりたくないという人は多いと思います。
スピリチュアル被害量産目指して情宣に勤しむテレビ朝日

『オーラの泉』ほか、テレビ、ラジオとあらゆるメディアで活動を続ける一方、手がけた著書の総売り上げが900万部にも上り、さらにアーティストとしてCDもリリースするという、まさにマルチに活躍するスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんがスタジオ生登場!今まで語られることのなかった壮絶な人生を紐解くとともに、香取さんがギモンに思うことを直接、江原さんにぶつけました。


「お前は18歳までは守られる。でも、その後はひとりで生きていかなければだめ」
母の死をきっかけに、江原さんの霊感は再びパワーアップします。やがて18歳となり、美術系の高校から大学の芸術学科に進んだころ、今度は昼夜を問わず、不思議な現象に悩まされるようになったといいます。ベランダのない2階の外に人影をみたり、ふと気づくとなにもないはずの天井にびっしりと人の手の跡がついていたり、そして突然、道で霊に手を取られることもあったそうです。家・通学路・バイト先と、あらゆる場所で霊に悩まされ、何度引越しをしてもそれは変わらず、やがては部屋から出ることすらままならなくなり、江原さんはついに大学を退学してしまいます。「18歳までは守られる…」。そう、それはまさに母の予言どおりだったのです。

一体これからどう生きていけばいいのか、苦しみながらも警備員のバイトをしてなんとか生計をたてていた江原さん。そんな時、バイト先の人に「霊媒師」というものの存在を教えられたのです。「なぜ自分にだけ、こんなに霊が見えるのか、どうすれば普通の生活が送れるようになるのか。その謎を知りたい」。そう強く思った江原さんは、霊媒師巡りを始めます。バイト料をつぎ込み、怪しい霊能者にも何人も会いながら20人目にしてついに信頼に足る人物にめぐり合うのです。
「僕はなにかに取り憑かれてるんでしょうか?」
「いいえ。あなたには悪いものは憑いてませんよ。まずは霊能力をコントロールできるよう、訓練からはじめましょう」
このとき、江原さんは「人格や波長を高く保てば低級霊はよってこないこと」「自分はお坊さんの霊に守られていること」を告げられたのです。そして何よりも江原さんの力となったのは、「霊的な力を使って人を助けることができる」という言葉でした。こうして江原さんは、自分の力をコントロールするため修行を開始。寺にこもっての荒行、さらに毎日のように滝にうたれ、神主の資格をとり、神社でも働きました。生活するのもやっと、という貧しさの中でも修行を続け、ようやく霊現象に悩まされることもなくなったといいます。そして1989年、東京・世田谷でスピリチュアリズム研究所を立ち上げ、カウンセリングを開始。ようやく江原さんは念願どおり、自分の持つ能力を人のために生かすことができるようになったのです。そしてそこで出会った女性と後に結婚。子供にも恵まれ、幸せな家庭も手に入れることになります。さらに霊的理解を深めようとした江原さんは1990年、スピリチュアリズム研究の盛んなイギリスで学ぶことを決意。ネラ・ジョーンズ、テリー・ゴードン、ドリス・コリンズなど著名な霊媒師に直接会い、理論・実践を学んだのです。そのイギリスで身につけたのが、「シッティング」。ただ目の前に座るだけで、相手から生年月日や相談したい内容など、一切聞くことなく、すべてを見通し、メッセージを伝える、という方法。 江原さんはシッティングを通して、で霊的世界は本当に存在する、ということを示し、人々を救いたいと考えたのです。そして、日本に戻った江原さんがカウンセリングと共に取り掛かったのが、本の執筆です。2001年に出版された『幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック』が70万部を突破。以降も精力的に執筆を続け、これまでの発行部数は実に900万部以上にものぼります。また、大学時代に始めた声楽の才能をいかし、CDもリリース、あの美輪明宏さんの勧めで『スピリチュアル・アーティスト』として活動。本に講演会、そしてテレビ、ラジオとあらゆるメディアで幅広い活躍を続けています。

江原さんが出演している番組「オーラの泉」だけでも、実に100人以上のオーラを見ている江原さん。これまでに会った芸能人、有名人のなかで、オーラの凄かった人、印象的な守護霊を持っていた人は誰なのでしょうか?
「オーラの輝きが強くて印象的だったのは、新庄剛志さん。守護霊が印象的だったのは、米良美一さんですね」(江原さん)

ペルーの「マチュピチュ」、エジプトの「ピラミッド」、屋久島に伊勢神宮、出雲大社。今、女性誌などでも度々特集が組まれるなど、多くの人が癒しを求め、いわゆる「パワースポット」と呼ばれる「エネルギーに満ちた」といわれる場所へと足を運んでいます。そんななか、江原さんがおすすめのパワースポットといえば…?
「パワースポットと、スピリチュアルスポットは違うんですよ。パワースポットはエナジーの強いところで、海や山もそうですね。海は浄化、山は癒しの効果があります。スピリチュアルスポットは『聖域』のような場所。宮崎県の高千穂や、長野県の戸隠なんかがそうだと思います」(江原さん)
在⦿マスコミの手駒 として、 熟慮性が低い直感思考的テレビ視聴者 洗脳し打ち出の小槌化して稼ぎまくった 「霊能者」たち
江原啓之
 作家でありオペラ歌手であり、スピリチュアル・カウンセラーでもあるという多彩な顔を持つ江原啓之。
 霊的世界とコンタクトを取り、他人が知らないような情報を得て対面する人に伝えることで、霊的世界があることを証明してきました。
 その霊能力を発揮して様々な人の悩みを解決に導き、「スピリチュアル・カウンセラー」という肩書きを日本に広めた功績を残しています。
 メディア出演も多く、2005年には美輪明宏と共にスピリチュアル系テレビ番組「オーラの泉」にレギュラー出演してスピリチュアルブームを巻き起こしました。
 著者「幸運を引きよせるスピリチュアルブック」や「人間の絆〜ソウルメイトをさがして〜」など数々のベストセラーを記録しており、現代日本においてスピリチュアル系有名人の中で最も人気・知名度を集めている人物です。
宜保愛子
 1932年生まれの作家・タレントで、80年代のオカルトブームで活躍し霊能者として一世を風靡した宜保愛子。
 6歳の時に霊能力に目覚めたことを自覚し、車に轢かれた弟の魂が身体から抜け出るのが見えたという逸話や、自殺した人が飛び込む場面の風景が見えていたという霊能力があったと言われています。
 また、対面している人の守護霊が見えて会話することもできるようで、相談者の亡くなった身内の霊と対話して他人が知らないような出来事や家の構造なども言い当てたとされています。
 これらの霊能力がテレビで取り上げられたことで80年代のオカルトブームで注目を浴び、テレビ出演はもちろん数々のベストセラー著書も出版しました。
橋本京明
 「ラスト陰陽師」の異名で知られる橋本京明。
 陰陽師だった祖父の血と遺志を継ぎ、占いや除霊を行う霊能者です。
 18歳の時に金峯山寺や比叡山行院などで修行を行い、31歳まで厳しい修行を重ねたのち、神職と僧侶の資格を取得しました。
 亡くなった人と霊を通じて対話できる能力を持ち、相談者が情報を伝えるまでもなくその人の名前や亡くなった時の状況を具体的に言い当てるという脅威の能力を持ち、鑑定予約は4ヶ月待ちという絶大な人気を誇っています。
 また近年はYouTubeも話題で、心霊スポットにいる霊との対話を行う動画が注目を集め、橋本京明のYouTubeチャンネル「陰陽師・橋本京明チャンネル」は登録者数30万人を突破しています。
青木慈雲
 僧侶で画家の青木慈雲。母親が身延山に帰依する法華経信者で、叔父は真言宗の僧侶という家庭環境で育ち、自身も霊能者として名を上げました。
 1960年頃に仏教へ傾倒するようになり、インド哲学を学んだ後に1977年に宗教法人妙法山を設立、1982年に大本山妙尊寺を開山しています。
 1985年には衆生救済の大誓願を立てた大荒行を行い、飲まず・食わず・眠らず・横にならずという四無行を行なって5度の心臓停止を経験しました。
 昭和から平成初期のオカルトブーム期にテレビ番組のオカルト企画や心霊企画に多数出演し、心霊スポットでの鎮魂を行うなどメディアでも大活躍しました。
 真っ白なあご髭を蓄えた風貌も霊能者としての説得力に一役買っており、多くの人気を集めた人物として知られています。
シークエンスはやとも
 シークエンスはやともは、霊視芸人として知られる吉本興業所属のお笑い芸人です。
 小学3年生の時に自宅のベランダから向かいのマンションの殺人現場を目撃したことで霊が視えるようになり、お笑い芸人としてデビューした後に霊視できることを明かしたことで霊視芸人としてブレイクしました。
 女性週刊誌「女性自身」でコラム「ポップな心霊論」を連載しており、自身の霊的体験談を始め霊的なお悩みへのアドバイスなども行なっています。
 2020年にフジテレビ「ホンマでっか⁉︎TV」に出演し、明石家さんまを始め出演者の生き霊を霊視して最も良い霊がついている順にランキングを発表したことで、「当たりすぎている!」と多くの反響を呼びました。
 霊視芸人としてブレイクしたことで有名人から一般人まで多くの依頼や相談が舞い込むようになり、現在TwitterのDMはパンク状態となっているそうです。
パシンペロンはやぶさ
 パシンペロンはやぶさは、ホリプロコム所属のお笑いコンビ「パシンペロン」としてデビューし、コンビ解散後の現在はソロで活動している霊能者系芸人・YouTuberです。
 生まれつき霊感が強く、大人になった今でも毎日のように心霊体験をするという特異体質を持ち、霊視を通じて守護霊からのメッセージを伝えることができる能力の持っています。
 また、人のオーラを視て人探しを行なったり、病気、寿命、前世、幽霊なども視ることができます。
 卓越した霊能力とお笑い芸人としてのトーク力を武器に、BeeTVの「狩野英孝の行くと死ぬかもしれない肝試し」や、日本テレビ「ニノさん」の企画「二宮和也と10人の偏り人 霊感がある10人大集合」などにスピリチュアル芸人として出演しました。
 また、人気YouTuber「東海オンエア」の企画「超能力者がかくれんぼで本気出したら最強なの?」に登場し、東海オンエアメンバーも驚くほどの透視能力を見せて大きな話題になりました。
前田和慧
 1952年生まれの前田和慧は、1987年に和歌山県高野山に入り、高野山総持院にて得度し「和慧」の法名を授かりました。
 生まれつき特異な霊能力を持っていたとされ、霊能者尼僧としてテレビにも取り上げられるようになり、フジテレビ系「緊急スペシャル 超常現象をみた!」シリーズに出演したことで注目を集めました。
 現在は真伝不動明王寺の住職を務める他、マントラをテーマにしたベストセラー著書も多数出版されており、作家としても活躍しています。
池田貴族
 ロックバンド「remote」のボーカルで、作家や心霊研究家としての顔も持つ池田貴族。
 1990年にロックバンド「remote」のボーカリストとしてシングル「NO!」でデビューし、音楽活動に励むかたわら霊能者タレントとしてバラエティ番組でも活躍しました。
 父親が真言密教の霊能師、母親も強い霊感を持つという家庭に生まれた池田貴族は、幼少期から周囲の人には見えないものが見えていたといい、その見えない何かから未来のことを教えられていたといいます。
 心霊スポットに行くとそこで起きた事件が脳裏に浮かぶといった能力もあり、テレビ朝日「こだわりTV PRE★STAGE」をはじめ数々のテレビ番組で霊能者としての力を見せて活躍しました。
藤田小女姫
 1938年生まれの藤田小女姫は、9歳の時にハワイの狐に憑依されたことで霊能力に目覚めました。
 小学校6年生の時にはすでに占いを的中させる少女として広く知られており、サンケイ新聞の社会面トップに「奇跡の少女現る マリを突きながら何でもズバリ」という記事が掲載されたこともあります。
 学生時代の王貞治に「将来、野球で大成功を収める」と予言したことでも知られており、サンケイ新聞の経営陣を始め政財界の大物や有名人からも寵愛され、テレビや雑誌でも取り上げられるなど大きな人気を集めました。
木村藤子
 女性作家であり、霊視・透視能力がある霊能者の木村藤子。
 木村藤子の母親も霊能力者で、自身は30代の時に神の声を聴いたことで霊視・透視能力に目覚めました。
 1990年に青森県むつ市のマエダ百貨店で開催されていた爬虫類ショー「世界のヘビ・大爬虫類展」にて体長5メートルの巨大ニシキヘビが逃げた時、木村藤子が神と言葉を交わして「ヘビは遠くへ行っていない。川を渡ろうとしたが引き返し、デパート敷地内の建物の影にじっと隠れている」と透視して見事に所在を言い当てたことで、「ヘビの神様」の異名で知られるようになりました。
 美輪明宏や江原啓之らと共にテレビ番組「オーラの泉」にも出演し、全国区の知名度を獲得した霊能者として人気を集めました。
長南年恵
 1863年生まれの長南年恵は、明治時代に活躍した霊能者・超能力者です。
 小学校に入学できず子守の奉公をしていた頃に予言の能力に目覚め、予言の噂を聞きつけた住民の相談に乗るうちに予言者として知られるようになり、奉公先から巫女として活動することを勧められたという逸話があります。
 20歳の頃から食事をほとんどとらずに生水だけを口にし、成人してなお少女のような肉体・精神を持っていたとされています。
 霊能者としての能力は衝撃的で、何もない空気中から神水を発生させて瓶に神水を満たし、その神水が万病効くという効果があったとされており、長南年恵の周りには頻繁に神仏が出現していたといいます。
 その能力は公的機関からも認められたとされ、現代まで奇跡の人物として語り継がれてきました。
下ヨシ子
 作家やタレントとして活動し、福運アドバイザーの肩書きも持つ下ヨシ子。
 幼い頃から予知能力があり、44歳の時に原因不明の高熱を発して「六字明王」に出会ったことで霊能者としての能力に目覚めました。
 1998年には「奇跡体験!アンビリバボー」に出演し、競輪の予言で10レース中7レースの結果を的中させたと言われています。
 また、他の霊能者や霊媒師が除霊できないポルターガイスト現象も除霊に成功したという逸話もあり、テレビ番組「ほんとにあった怖い話」や各種雑誌など様々なメディアに出演して名の知られる霊能者となりました。
摩耶卑弥呼
 メディア出演が多く占い師としても知られる霊能者の摩耶卑弥呼。
 幼少期から霊視能力があり、1995年に占い師・愛京子主宰の「愛の会」でタロット占いと霊視を始めました。
 愛の会から独立後、霊能者として心霊を扱うテレビ番組「世界の怖い夜!」や「スパモク」に出演した他、人気番組「水曜日のダウンタウン」でも活躍。
 2019年には大人気YouTuber・はじめしゃちょーの動画にも登場しており、若者向けのメディア出演が多い霊能者として人気を博しています。
安藤大将
 元競艇選手の安藤千夏としても知られる霊能者の安藤大将は、1984年に安藤千夏の名前で競艇選手デビューし、2005年に引退してからは霊能者として活動しています。
 幼少期から霊感が強く、子供の頃から見知らぬ人に助言を求められることがあったといい、17歳の時から占い師としての活動を始めました。
 競艇引退後は大阪を拠点に霊能者としての活動に専念し、日本霊能者連盟の活動や霊能スペース「大将のャ」を立ち上げています。
サッチー亀井
 クリヤ・ヨガの指導者であり、スピリチュアル系自己啓発本の著者でもあるサッチー亀井。
 幼少期から人魂や霊的なものを視ることができ、中学時代に頻繁に幽体離脱や霊現象を体験したことで霊能者としての能力に目覚めました。
 1980年代からクリヤ・ヨガの指導者としての活動を開始し、世界各地の瞑想道場を回り、現在は全米ヨガアライアンス協会認定校の校長として生徒を相手にヨガ指導を行なっています。
ホセ・アリゴー
 ブラジルの霊能者で、心霊手術師として知られるホセ・アリゴー。
 医学的教育を受けずに心霊治療のみで医療行為を行なった心霊手術師で、1955年からブラジルのコンゴーニャスに診療所を構え、治療費を取らずに貧困層にも分け隔てなく心霊治療を行い、毎日数百人の患者を相手に奇跡的な力で治療していました。
 「奇跡の治療」と呼ばれて多くの患者に支持され、死後にはブラジル全土から弔問客が1万〜2万人以上集ったと言われており、心霊治療において最も名高い人物と称されています。
バラート・クラーラ
 ハンガリー出身の霊能者バラート・クラーラは、12歳の時に霊視や透視の霊能力に目覚め、地元ハンガリーでは警察から捜査協力を依頼されるほどの人物です。
 霊能捜査により数多くの未解決事件を解決に導き、ハンガリーの未解決・失踪事件を取り扱うテレビ番組「痕跡なし」にレギュラー出演していました。
 日本でもテレビ朝日「奇跡の扉 TVのチカラ」や、フジテレビ「爆笑問題☆伝説の天才」など数多くのメディアに出演しており、世界的に有名な霊能者として知られています。
渡邉やす子
 占い鑑定歴20年以上というベテランの占い師で、鋭い霊感を武器にどんな悩みも解決してしまうという触れ込みで話題の渡邉やす子。
 2000年に新宿路上でデビューして以来20年以上に渡り第一線で活躍し、テレビのドキュメンタリー番組から密着取材を受けたことも。
 顧客には大物女優や国会議員なども存在し、日本のみならずヨーロッパでも支持されるほどの人気を誇っています。
平池来耶
 ラヤ・シルク名義でも活動していた霊能者で、スピリチュアル・カウンセラーとして活動している平池来耶。
 1986年頃より霊視を用いた個人面談を通じて相談者の霊的成長をサポートする活動をしており、願望・運命・未来をスピリチュアル的観点から提示してアドバイスやヒーリングを行なっています。
 執筆活動でも活躍し、これまでに「幸運をつかむ 的中夢占い入門 夢が教えるあなたの現在・未来!」や「霊能力を高めると 前世が見えてくる」などを発表しました。
田中守平
 1884年生まれの霊能者・田中守平は、霊術団体「太霊道」の創始者として知られる人物です。
 明治38年に恵那山で断食修行をし、太霊道の中核となる霊能力を得て、日本海海戦の勝利や日露講和条約締結などの予言を的中させました。
 また、霊術療法を行う霊能者としても知られ、中国・朝鮮・満州・蒙古を巡業して呼吸法や座法を組み合わせた霊的療法を各地に広めたと言われています。
シークエンスパパとも
 シークエンスパパともは、芸人「シークエンスはやとも」の父親で、元芸人の霊能者です。
 芸人として活動した後、グラフィックアーティストやタクシードライバーなど職を転々としていましたが、息子のシークエンスはやともが霊能者芸人としてブレイクしたことで父親も霊能者であることが知られるようになりました。
 息子のシークエンスはやともに憑いていた霊を除霊した経験があり、現在はオンライン個別面談や動画配信で霊視を行なって霊能者として活動しています。
 フジテレビ「ホンマでっか!?TV」やテレビ東京「やりすぎ都市伝説」にも出演したことがあり、親子揃って霊能者として人気を集めています。
中田むつみ
 岐阜県にある「霊能カウンセリングハウス」の中田むつみは、霊視や除霊を得意とする霊能者です。
 霊視以外にも手相や恋愛・仕事・家庭・病気などの幅広い相談に乗っており、相談者が何も伝えなくても身内や関係者の名前を言い当て、結婚や破局の原因、会話の内容など過去の出来事も見事に言い当ててしまうという霊能力の高さを誇っています。
 その高い霊能力が支持され、岐阜県の霊能カウンセリングハウスには県外の遠方からも相談者が訪れる人気霊能者として知られています。
玉尼様
 近年話題になっている霊能者・玉尼様(たまにさま)は、香川県を拠点に活動している霊能者です。
 44歳の時に幽体離脱を経験したことで霊能力に目覚め、自身の霊体である「玉尼様」を通じて霊界の様子を知り、霊体と会話して相談者の悩みを解消することを主な活動としています。
 霊体との会話のみならず、憑依霊の除霊や病気にならないためのアドバイスなども行なっており、香川県では予約が取りづらいほど人気の霊能者として話題になっています。
 ブログで霊能者としての活動を記している他、著者「私の霊体・玉尼様に導かれて」などを出版して玉尼様のお言葉を伝えています。
森下辰夫
 森下辰夫は1904年生まれの霊能者です。
 フランス文学・言語学者として大学教授を務めていた一方、1941年に霊能力を得たと言われています。
 詐欺師的な霊能者により誤解されている心霊現象や霊能力を正しい意味で追究し、著書「心霊問題と人間」などを発表しました。
 森下辰夫自身は神秘主義者ではなく、医学や薬学などの科学を肯定した上で、その全てには限界があり最後は天が助けてくれるという主張を持っていた人物です。
木村駒子
 木村駒子は1887年生まれの女優であり、明治後期から大正にかけて神秘主義研究家を名乗ってスピリチュアルな活動をし、インド心霊術を研究していた夫と共に「観自在宗」を立ち上げた霊能者です。
 日本心霊研究会を設立して催眠術興行などを行った他、「仏教の六神通を得て人心を自在にする」という目的で霊術治療を行う観自在宗を唱道して全国各地を巡業しました。
 しかしあまり儲けることができず、木村駒子はその後女優に転身し、浅草金龍館の曾我廼家五九郎一座に入団して人気女優として成功しました。
2021年3月15日  MARKコンサルタンツ
「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」
 これは、大泥棒石川五右衛門が捕らえられ、「釜茹で」により処刑された時に詠んだといわれる辞世の句です。
 石川五右衛門は実在の人物ですが、五右衛門伝説を基に、彼を主人公にして創られた歌舞伎が「楼門五三桐さんもんごさんのきり」。ストーリーは、大泥棒の五右衛門が育ての父武智光秀たけちみつひでかたきを討とうと、時の権力者である真柴久吉ましばひさよしの命を狙います。
 五右衛門が、金持ちから財宝を盗むあざやかな手口と権力者相手に親の敵を討つという物語は江戸時代の人々の人気を呼び、五右衛門は庶民のヒーローとなりました。
 泥棒をはたらき、追手に追われる五右衛門が、京都・南禅寺の山門の上で、夕暮れ時の満開の桜の花を眺めながら語る「絶景ぜっけいかな 絶景ぜっけいかな。 春の眺めを値千金とは小せえたとえ。この五右衛門の目からは値万両、何万両。 はて、うららかな眺めじゃなあ 」というセリフは有名です。しかし、いくら後世で人気が出たといっても、処刑されるくらいですから、相当な悪人だったといえるでしょう。
それでも起こる横領・着服
  盗人といっても、窃盗ではなく横領・着服の話です。横領・着服は会社に金銭的な損害を与えるだけでなく、会社の信用をおとしめることになるわけで「釜茹で」級の重大犯罪です。不正経理による横領・着服事件は、しばしば新聞紙上を賑わせ、五右衛門の辞世の句ではありませんが、いつまでたってもなくなりません。
 記憶に新しいところでは、昨年5月に岐阜県下呂市の市営観光施設で約2千万円の使途不明金が見つかり、その後不正の一部を認め行方不明となっていた元会計担当の職員が焼けた車の中から遺体で発見されたという事件がありました。自殺と見られています。
 その後の調査で、死亡した元職員は9年間にわたり、総額2億6千万円を競馬や外国為替証拠金取引などに流用していたことが分かりました。元職員が市に提出した通帳のコピーは改ざんされており、架空業者などへの支払いがあったようです。新聞は「元職員が長期にわたり同じ職にあったことから、不正が見逃されてきた」と報じています。
なぜ、不正はなくならない?
 不正のなくならない原因のひとつに、そんな悪意のある社員が存在することが想定されていないということがあると思います。しかし「うちの社員に限って・・・」という言い訳は通じません。
 逆に「不正を働くのはモラルの低い特定の社員」という考え方も間違っています。多くの場合、いわゆる「フツーの社員」が不正を犯すことが多く、周囲も疑いを持たないため結果として被害額が多額になるケースが散見されます。
 不正の原因を考えるのに「不正のトライアングル」という理論があります。「動機」「機会」「正当性」の3つの要因がそろった時に不正が行われるという考え方です。その要因とは次のようなものです。
・動機…不正を犯す必要性 
 
(例)借金がある。上司を困らせたい
・機会…不正を犯しやすい状況 
 
(例)通帳や印鑑をひとりで管理している
・正当化…不正行為を正当化する考え方 
 
(例)会社の備品の持ち帰りや経費での飲食など、みんながやっている
 会社は自分の給料を上げてくれない
 すべての人が善人というわけではないので「性善説」で会社を守れないことは、過去の例からもはっきりしています。従って「性悪説」に基づいた不正防止対策としては、人間はだれも「動機」と「正当化」の要因は持ちうるものであり、ルールを厳格化し、徹底的に「機会」を失くす体制に改めるということになるでしょう。
「性弱説」とガバナンス
 そんな内部統制ガバナンスのあり方を考えている時に教えていただいたのが「性弱説」という考え方です。教えてくださったのは、かつて上場企業の社長、会長を歴任された名経営者です。その方が部下を指導・管理する際に、常に頭においていたのが「性弱説」だと言います。
 「性弱説」とは、例えばいくら見た目は屈強な男性でも、人というものは非常に脆く、弱いものであり、積極的に悪いことをしようと思ってはいないのに、上司からのプレッシャーや周囲からの評判、見栄などの環境や状況によって悪いことをしてしまうという説です。
 2015年に歴代の3人の社長が辞任に追い込まれた東芝の不正会計問題は「性弱説」で読み解くことができるでしょう。この問題を調べた第三者委員会の調査報告書によれば、歴代社長らが各部署のトップと面談する「社長月例」では「チャレンジ」と称して高すぎる収益改善の目標値を設定、強要。 
 各部署のトップらは目標を必達しなければならないというプレッシャーを強く受けたと指摘しました。そして、圧力を受けた各部署は悪いこととは知りつつ、抗う事はできず、さまざまな方法で利益を水増しし、それが積み上がっていきました。ここに人間の弱さというものを見る気がしますが、経営陣も水増しを認識し、これを放置・継続した結果、利益操作は2008年度から14年度の4~12月期まで計1562億円にのぼりました。
 不正会計問題は東芝のブランドイメージを大きく傷つけただけでなく、投資家の信頼をも裏切り、結果として稼ぎ頭であった半導体メモリー事業を売却するなど大きな痛手を受けたのです。
 企業のガバナンスに完全な仕組みはないと思いますが、規則や規制を強めるだけでなく、フツーの社員が何かをきっかけに不正に手を染めるような状況を作らないようにするバランスのとれたガバナンスが必要だと考えます。
経理業務に潜むリスク
  さて、経理業務は属人化、ブラックボックス化しやすい最たる業務です。言葉を換えれば不正の機会をもたらしやすい業務といってよいでしょう。しかし中小企業の場合、人手不足や実務研修の時間が取れないなどの理由から、上述した下呂市の事件のように長年、同じ人がずっと経理業務に携わっているようなケースは多く見られます。経営者としてはリスクと感じて欲しいところです。
 そこで不正経理を防ぐためのバランスがとれた策としてお勧めしたいのが、経理業務の見える化とアウトソーシングです。経理業務をマニュアル化、見える化し、誰にでもできる業務にすることで業務のローテーションが可能です。また業務の一部だけでもアウトソーシングすることで、社員を増やすことなく第三者のチェックを受けられる体制が構築でき、不正の生まれる機会を塞ぐ効果が見込めます。不正の防止は会社にとってだけでなく、同時に出来心で不正に関わるという誰にも起こりうる恐れから社員を守るものなのです。
「陰謀論にハマりやすい」人の特徴とは…
 「新型コロナは利権団体によるデマ」「ワクチンにはICチップが入っている」など、新型コロナの感染拡大を機にSNSなどで広まった陰謀論。そんな陰謀論に「ハマりやすい」人の特徴をあぶりだした日本人社会心理学者の論文が学術誌「アプライド・コグニティブ・サイコロジー(応用認知心理学)」に掲載される。
「ワクチンにICチップ」は無理筋では…
 論文を執筆したのは、鹿児島大学法文学部の大薗博記准教授(42歳、社会心理学)と昭和女子大学人間社会学部の榊原良太准教授(36歳、同)だ。
 「『頭が良すぎて陰謀論にハマる』のか、『社会に不満があるとハマる』のか。そういったことを検証してみました」と大薗准教授。榊原准教授とは鹿児島大学時代に同僚で、2人で研究を始めて今回の論文を共同で執筆した。
  研究のきっかけは、新型コロナの流行期に「ワクチンにICチップが入っている」という ( うわさ ) がSNSで流れていることに触れたとき。荒唐無稽で「かなり無理筋な話」にもかかわらず、どんどんシェアされて拡大されていく現象を心理学のアプローチで調べてみようと思い立ったのが始まりだ。
 今回の研究では「一般陰謀論」と「コロナ陰謀論」について調べている。
 一般陰謀論は、「秘密組織が地球外生命体とコンタクトをとっているが、その事実は大衆には伏せられている」や「政府は、市民やよく知られた有名人の殺害に関与し、そのことを秘密にしている」といったもの。コロナ陰謀論は「ウイルスは科学者たちによって作り出された生物兵器だ」「ウイルスは利権団体が金銭的利益のために考案したデマだ」といったものを質問項目に設定している。
裏テーマは「頭が良すぎて陰謀論にハマる」
 調査はインターネットで参加を募った1400人を対象に2022年10月30日に行い、有効だった937人の回答を基に分析した。質問項目は百問あり、陰謀にまつわる質問のほか、「バットとボールは合わせて1100円。バットはボールより1000円高い。ではボールはいくらでしょう?」といった「熟慮(=よく考える)性」を試される質問、社会への不満を聞くものや収入や学歴まで多岐にわたる。
「頭の良い人」は陰謀論にハマるか、学術誌に論文が掲載…「面白くない」研究結果は心理学者を奮い立たせた
 質問を作るに当たっては、二つの仮説を出発点にしたという。一つは「よく考えることができる人は陰謀論を信じづらい」ということ。もう一方は「社会的な不安・不満を抱えている人は陰謀論を信じやすい」ということだ。
  それに加えて、2人が検証したかったのは、「頭が良いからこそ陰謀論にハマりやすい場合があるのかどうか」。大薗准教授は「オウム真理教の事件の時に高学歴の若者が集まっていたことが話題に上りました。そのときに語られていた『社会に不満を持ったインテリこそが陰謀論にハマりやすい』というイメージが科学的に証明できるか、ということも検証したかった」と明かす。その思いが「裏テーマ」となって、研究を進めたのだという。
 「陰謀論を信じやすい」人たちの傾向として強く出たのは、「熟慮性が低い人」ということだ。直感的に物事を判断する人ほど、特にコロナに関する陰謀を信じやすい傾向にあることが分かった。これは「科学的推論」を問う質問や「合理性」を問う質問についても同様の傾向が見られている。逆を返せば「物事を論理的に考えられる人ほど、陰謀論にハマりにくい」(大薗准教授)ことが証明されたというわけだ。
 また、社会不安や不満が高い人ほど陰謀論にハマりやすいという結果も出た。顕著に出たのは「アノミー(=世界は悪くなっているという信念)」が強い人ほど、陰謀論に傾倒しやすい傾向にあった。
 だが、この二つの傾向の組み合わせによる増幅効果は見いだすことができなかった。そのため、裏テーマだった、「社会不満を持ったインテリこそが陰謀論にハマりやすい」ことは表れなかったという。
面白くない研究結果だからこそ
 「研究結果としてはあまり面白いものにならなかった、というのが本音ですが…」。大薗准教授はそう言いながら、「でも、陰謀論に立ち向かうための『正攻法』が判明した」と明かす。
 「陰謀論にハマりやすい人を語る時に、イメージで語られることが多かった。社会に不満を持っている人とか、生活が苦しい人とか…。ですが、今回の調査で顕著に示されたのは熟慮性の低い人は陰謀論にハマりやすいという結果でした」
 社会的な不安や不満を持つ人も熟慮性が低い人も、どちらも陰謀論を信じやすい傾向はあった。だが、結果を見てみると、熟慮性の方がより一貫して影響していることも分かった。大薗准教授は「社会不安を引き起こす低所得・低階層といった問題を解決するには社会全体が変わらなくてはいけない。でも、熟慮性を磨くことは誰にでもできることです」と話す。
 それは「情報を自分の中でかみ砕いて理解する」ということだ。新聞やテレビ、ネットなど情報があふれる中で、「ただ情報に触れるだけではなく、なぜそのような情報が発信されているのか、誰が発信しているのか、どのくらい正しいのかというのを自分の頭で考えることが『熟慮』することにつながる」と語る。
心理学は心を読むか
 「それと、もう一つ…。手品の話があって…」
「頭の良い人」は陰謀論にハマるか、学術誌に論文が掲載…「面白くない」研究結果は心理学者を奮い立たせた
  饒舌 ( じょうぜつ ) だった大薗准教授が少し恥ずかしそうに話す。「心理学を教えているとこんなふうに言われるんです。『心理学って人の心を読めるんですよね』って」
  手品が趣味という大薗准教授は、鹿児島大の新入生を相手に行う初めての「心理学概論」の授業で、あるマジックを披露した。相手の心を読んでいるように見せるマジックで「メンタリズム」「メンタルマジック」と呼ばれるものだ。
 披露したマジックは、自分からは見えないように、ランダムに選んだ受講生に四つの積み木から一つ選んでもらう。自分は悩んでいるふりをして、選んだものを当てる――という簡単なもの。“タネ”は簡単で、教室には協力者がいて、選んだものをサインで大薗准教授に教えるのだ。しかし、「95%以上の受講生が『目線や表情から心を読んだ』とタネを予想しました」。
 協力者がいると明かした後の調査では、「心理学=心が読める」という信念は大幅に減少し、さらに超常現象や陰謀論についての信念も低下したという。一方で、マジックを楽しませてもらったという気持ちからか、マジシャンへの信頼は下がらなかった。
 「リテラシーを磨くというと、当たり前の話に聞こえるかもしれませんが、ある出来事について批判的・懐疑的に触れて考えることは重要です。教育者として、自分が若い世代に情報のとらえ方をきちんと伝えなければと考えています」
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